ジャワ島紀行 〜後編〜(ジョグジャ)

             
      
ジェパラからスマランと言う大きな港町を経由し、
バスでジョグジャまで向かいました。
スマランの外れにあるバスターミナル。

大きいターミナルで,快適そうな冷房付きのバスが沢山止まっています。

そのバスの発着場所の前にはキオスクが、
ずら〜っと並んでいて,
お土産用の名産菓子やスナックなどを売っています。
インドネシアは今、国内旅行ブームのようです。
定刻通りにバスが出発しましたが、幹線道路でも人が手を挙げるとバスはどこでも停まって乗せてくれます,逆にルート上であれば降りたいところで降ろしてくれます。このシステムは良いな〜と思いました。日本では時刻表や安全性が先立って,乗る人の利便性という、本来のサービスからは遠ざかってしまっているような気がします。
ちょっと余談ですが、数年前に東京で、バスが出発しそうなので20mくらい前から手を振ったのに発車してしまいました。でも、発車したもののすぐにある信号が赤になり止まったので,ドアをノックしましたが“ダメダメ”と手を横に振られ、しばらくして信号が青にかわり、バスは行ってしまいました。
あの時は、日本(東京かな,,?)の杓子定規的で人間味のなさに憤ってしまいました。きっと安全遵守という決まりがあるのでしょうが、もう少し融通が利いても良いのに、、、。

ジョグジャ行きのバスは、そんな感じで度々停まりながらスマランの中心部に到着。ここはちゃんとしたバス停の様で,車掌さんは外に出て行き先を告げ、乗客を呼んでいますが,バスはまだガラガラ。バスはエンジンを切り休憩モード。
エンジンが止まると次から次へと物売りが乗り込んできました。

厚揚げ豆腐唐辛子付きとピーナッツ売り。

もちろん道中喉も乾きますよね。
その他新聞、スナック菓子等々。
みんな生き生きとした素晴らしい笑顔なのが印象的。
数人の弾き語りの男の子たちも外で待機していましたが,乗客の少ないバスには乗ってこないようです。
そうこうしている間に15分、20分と時間が経っても、バスは出発するどころか,運転手さんは寝てしまっています。
他の乗客に「どうしたのかな?」と聞くと、「乗客が十分に集まらないからもう少し集まるまで待ってるんだよ」とのこと。
「インドネシアはジャム(時間)・カレッ(ゴム)だからね」、、だそうです。
『収縮自在の時間』
そうか、そんな時間も有りかな〜と、その気になってしまう。。。
まっ、いっか。。。。
その後しばらくしたらやっとバスが出発し、スマランのバスターミナルを出てから4時間でジョグジャに着きました。
ジョグジャは“インドネシアの京都”的な古都で,王宮跡などがあり、伝統文化も受け継がれていて,街自体に品があるような気がします。
ヒンドゥー教のプランバナン寺院遺跡や仏教のボロブドゥール遺跡などの世界遺産への拠点であり、手書きのバティックの布でも有名です。
ジョグジャのメインストリート。
“マリオボロ通り“

この道は一方通行の車道と、

馬車やベチャのための両側通行道に分かれています。
ベチャは、インドのリクシャーと同じ三輪自転車ですが、
インドは座席が後ろ,
インドネシアでは座席が前で,
乗客になってみるとちょっとスリルがあります。
この道以外は車道を車に混ざって走り,右折なども車と同じ様に対向車を避けながら曲がるので結構ヒヤリとすることも。。。。
(ちなみにベチャはバリには無く、ジャワの小規模都市にあるようです。)

マリオボロ通りには大小の小売店、デパートやホテル等が建ち並んでいて、その歩道には衣料品や雑貨等の出店がびっしりと並んでいます。全てを数えると1,000軒ものお店があるそうです。
この道の店は全て夜9時に閉まり,その閉まった後は歩道レストラン街に大変身します。
その変わり身の早さ!

20:30pm

21:10pm(同じ場所です)
沢山のお店がある中、ここの
“アヤム(鳥)・ゴレン(揚げ)”(訳して、フライドチキン)
がイチオシ!(㊙ムティアラホテルの向かい側歩道)
2時間もハーブを使ったスープで煮込んでから素揚げにするそうです。

歩道に敷いたゴザに座り,道行く人を見上げながら手で頂きます。
ジョグジャの夜はこれからのようです。
翌日はバティク作業場を覗いてバティック製作の工程を取材してきました。
*これも後日改めてご紹介しますので,お楽しみに!
ジョグジャはジャカルタとバリのほぼ中間地点、ここまでは船とバスの移動時間だけで約36時間。
ここからバリへは飛行機で約45分。
あっという間の帰路でした。
さて、あなたならどちらの旅を選びますか?
     おわり

ジャワ島紀行 〜中編〜(ジェパラ)

     
無事ジェパラに着きました、
小さな港があり漁船が漁に出る支度をしています。
アンティークのコレクションになりそうな可愛いボート。


ジェパラはとても穏やかな小さい街で、
チークウッドなどの家具や竹細工、
そして柄入りの手織りの布、ご存知 “イカット” を織っている小さな村があります。
イカットと言ってもいろいろあって、本来はその島々、村々独特の柄や織り方があり、ほとんどが自分たちで使う為に織った物なので、唯一の織物ですが、
ここジェパラでは、そう言った島々の特徴あるイカットの柄を使い、同じものを沢山生産しているのです。
沢山と言っても一柄、数十枚から200枚くらいで、もちろん1枚1枚手織りの布です。
この工程については、後日改めてご紹介したいと思います。
イカットを織っている村に向かう途中で見た、のどかなこんな光景。。。

チークウッドで出来た独特な家、
地面に直接立てられた家の中も土のまま。
チークウッドはとても堅く、シロアリに侵される事がないので大丈夫。
おじいさんはイカット用の糸を巻き、

おばあさんは竹の籠を編んでいます。

その前の家では機織り機を作っていました。

このゆったり時間の流れている道を進んで行きます。

この辺りは沢山のイカット作業場があり、それぞれ得意とするものを作っていて、糸の色染めから織りまで一カ所で完結します。

その一軒を覗いてみましょう。

この建物の中に、5台ほどの機織り機があり、
男の人たちが織っていました。
かなりの力仕事なのです!
この暑い中、本当にご苦労様です。
頭が下がりっぱなしでした。。。
     つづく、、、

ジャワ島紀行  〜前編〜 (ジャカルタ)

ジャワ島に行ってきました。
バリから飛行機で約1時間半
ジャワ西部のインドネシア首都ジャカルタへ、
そこから船でジェパラと言うジャワ中北部の小さな街に向かいました。
普通はジョグジャと言う中南部の街から陸路を使うのですが、
今回は船の旅です。
前に数回、1泊のジャカルタ滞在をしただけで
主に中心部の雑踏しか見ていなかったのですが、
今回の船の出発地は、
想像もしなかったような超高級住宅街の一角にある桟橋。
その住宅街には
裏庭に自分の桟橋が付いている家が並んでいて、
桟橋には船も停泊していました。

通りから見たら、
写真の家の3倍くらいはある
まさしくホワイトハウスのような、
思わずのけぞってしまうほどのお屋敷が
あったりします。
しかし、
埋め立て地で
地盤沈下が激しいのか、
温暖化による水位上昇なのか、
道が海水であふれている所があったり、
“売り地“も既に、
海水でいっぱい、というところもありました。
こんなに立派な建物をこんなところに建てて大丈夫なのかと人ごとながら、心配になってしまいましたが、
余計なお世話ですよね。。。
このインドネシアという国が、どれだけ豊かなのかを
思い出させてくれる光景でしたが、
ここから1kmも行くと、
今度はスラムのような長屋の集落があります。
悲しいことに、
この国の豊かな資源や富の分配は
偏り過ぎているようです。
本来、もう少し平等に富が分配されていれば、
この国に貧困と言うものはなくなるはずですが、
これはどこの発展途上国にも共通する課題のようですね。
そんな思いを馳せながら、ジャカルタの豪邸街を後にしました。
しばらくすると大小の海底油田が!

産油国であるインドネシアの油田の多さにビックリ!
スマトラ島からずっと旅してきた友だちは、
何十ではなく何百という油田を見たと言っていました。

ウォーター・ワールドという映画に出てきそうな、
この金属の城を自分の目で間近で見て、
なぜか感動してしまいました。
そして、
これらに頼って私たちの生活が成り立っている
と言うことに、複雑な思いです。
インドネシアは産油国なので、
ガソリン代がとても安く、
日本円でリッター約45円。
でも、産油国であるこの国も石油を輸入している
という現実があります、
そこにはきっと、政治的で商業的な理由があるのでしょう。。。
   
       −・−・−・−・−・−・−・−・

   
ニュースで海底油田を見るたびに、
“どうやってこんな深海にこんな建物を造れるのか?”
と疑問に思っていたのですが、
船の水深計は35〜43mの間で
行ったり来たりしているまま、あまり動きがない。
もう陸から40kmも離れていて、
見えるのは365度地平線だと言うのに、水深38m!
38mはとても深いけど、
陸からそれだけ離れていてこの深さは予想外。
更なる驚きは、
この水深がこのあと真東に進んで行った約24時間、
変わらなかったということ。。。。
その為か、天気の良さも手伝って
真っ暗な”ぬめー”っとした海の上を穏やかな
航海が続きました。
     つづく、、、