木彫りと棚田の村、テガララン

      
週末は木彫りの村に用事があったので、
避暑も兼ねて山の方に行ってきました。
ウブドからキンタマーニ高原(名前に反応した人、、、いますよね、、、やっぱり。)へ続く道、初めの10kmくらいは、木彫りや、モザイクなどのお店がずら〜〜〜っと並んでいて、

途中には、“テガララン”と言う、
棚田で有名な村があり、いつも観光客で賑わっています。

この辺りはカエル、ネコやブッダ像等々の木彫りを村中で作っています。
木はこちらの名前で“アルベシア”といい、
とても早く育つ柔らかい木を使っています。
(日本語名は残念ながらわかりません,ごめんなさい)

アルベシアの丸太と天日干し中のブッダ像。

上り坂を進んで行くと、雲行きがおかしくなり、
突然の豪雨。
すごい勢いの濁流で道路が見えなくなり、
ゴミと化したお供え物が流れてきます。

この雨も30分くらいですっかり止み、
道路もきれいになって自然の大掃除。
麓の方ではきっと大変なゴミの量で大洪水だったのではないかと思われますが。。。
このテガラランの近くに、日本人のリタイアされた男性がやっている小さな宿があり、アットホームさと気持ちのいいロケーション、そしておいしい食事に魅せられ、たまに寄らせてもらいます。
暑くなく、寒くなく、とても気持ちのいい気候です。
部屋の前に広がる渓谷、
夜になると、蛍がちらほら行き交います。

    ヴィラ・チュンパカ ->こちらから
   
村の散策をしたい場合、時間が合えばスタッフが快く案内してくれます。
美味しい天ぷらを揚げてくれるマデさん。

   
夕方の散歩道で出会ったおじさん、

「今日の夕飯はアヤム・ゴレン(フライドチキン)なの?」
と聞くと、ニッコリとうなずいていました。
村のお寺で、夜お祭りがあるというので参加させてもらった時に、
あれ、どこかで見た人だ、、、、

しばらくして思い出した、“アヤム・ゴレン”のおじさんは、
とても素敵に変身していました。

熱帯のお花屋さん

   
バリのお花屋さんに並んでいる花々は、
やっぱりトロピカル!

とてもダイナミックな花が多いです。
特にヘリコニアの種類が豊富。

バナナも花としてアレンジに加えられます。
と言ってもこれは、観賞用の花バナナ。

他に、蘭、バラ、菊、カラーなどもありますが、ヘリコニアのビビットな色と迫力に押しやられている感じです。
忘れてならないのが、チューベローズ!

これはバリを訪れた人が、バリの思い出の香りとして一番印象に残るものではないかと思います。
インドネシア語で、
“セダップ(美味しい)・マラム(夜)“
どこのホテルでも必ず生けてあり、その名の通り、夕方から素晴らしい香りを楽しませてくれます。
私の友だちや母が大好きなので、日本に帰る時に100本くらい持って帰ることがあり、大変喜ばれます。(100本で500円くらいなんです)
根っこの付いていない切り花は、検疫で虫がついていないかのチェックをしてもらい、問題が無ければハンコを押してもらう、それでOKです。
たまにはこんな“香りのお土産”は如何でしょうか?

あれれ〜、、雨雲はどこかへ行っちゃったみたいです

   
    
先週始め、2日続けて土砂降りの大雨が降り、風の向きも変わったので、雨期に入ったと思ていたら、それっきり。
またかんかん照りの青空の日々に舞い戻ってしまいました。

昨夜は雲一つない夜空に満天の星、
雨雲はどこへ行ってしまったのでしょうか、、、?
もちろん晴れの日も大歓迎ですが、とにかく暑いし
この熱い太陽の日差しが肌をジリジリ焼き、
ますます“美白”というものから遠ざかっていると思うと、喜んでばかりいられません。
もちろん、今さら“美白”を目指しているわけではないですけど、真っ黒にはなりたくないですね。
インドネシアの女の子たちは一生懸命“美白”を目指していろいろ頑張っているようです。バイクに乗る時はジャケットを着るのは当たり前。最近では軍手をして、ビーサンに靴下を履いている子もいました。
この“美白”願望は有色人種に共通したもののようです。
それとは反対に、ビーチで太陽の日差しをめいっぱい受けながら、本を読んだりしているのは白人たち。
彼らは、程よく小麦色になった肌に憧れていて、せっせとビーチに通っています。白人は良い色に焼けても、一週間で、元の白い肌に戻ってしまうそうです。
よく友だちが、「見てよ、こんなに真っ白になっちゃった、気持ち悪いでしょ〜、また焼かないと・・・」と言っています。
人間て、なんでこうも無い物ねだりなんでしょうね。

ウチの家守、ゲッコウ君

   
ここ最近、毎晩大きな鳴き声を聞かせてくれるウチのヤモリ、
通称:ゲッコウ(やっと全身撮影に成功!)

(本当の名前は:トッケイ)
この体長約25cmのゲッコウ君、
ここ最近、夕方から夜更けまで約30分に一回くらい
“コココ、、ココッ”と発声練習から始まり、その名の通り
ッッコウ”
と、すごく元気な声で4〜5回、叫びます。
(本当に“ゲッコウ“と聞こえるんですよ)
家中どこに居ても聞こえるくらい響き渡るのですが、
慣れてくると全然気にならなくなってきます。
きっと今、恋人募集中なのでしょう、
良い相手が見つかればもう少し静かな夜になるかもしれません。
普段は、声はすれども姿を見せてくれず、
たまに見えても上半身だけのぞかせていて、
ちょっと近寄るとすぐに後退して隠れてしまいます。
いつものポジション。

いちばん最初に見た時は、
さすがにビックリして、怖いものがあったのですが
家守というだけあって、家を守ってくれている(と信じている)ので、ありがたく同居してもらっています。
実際、蚊や虫などを食べてくれるので、
ウチには蚊などが少ないように思います。
その排泄の方は、もう少し場所を選んで欲しいよなぁ〜、
と思いますが。。。 

ジャワ島紀行 〜後編〜(ジョグジャ)

             
      
ジェパラからスマランと言う大きな港町を経由し、
バスでジョグジャまで向かいました。
スマランの外れにあるバスターミナル。

大きいターミナルで,快適そうな冷房付きのバスが沢山止まっています。

そのバスの発着場所の前にはキオスクが、
ずら〜っと並んでいて,
お土産用の名産菓子やスナックなどを売っています。
インドネシアは今、国内旅行ブームのようです。
定刻通りにバスが出発しましたが、幹線道路でも人が手を挙げるとバスはどこでも停まって乗せてくれます,逆にルート上であれば降りたいところで降ろしてくれます。このシステムは良いな〜と思いました。日本では時刻表や安全性が先立って,乗る人の利便性という、本来のサービスからは遠ざかってしまっているような気がします。
ちょっと余談ですが、数年前に東京で、バスが出発しそうなので20mくらい前から手を振ったのに発車してしまいました。でも、発車したもののすぐにある信号が赤になり止まったので,ドアをノックしましたが“ダメダメ”と手を横に振られ、しばらくして信号が青にかわり、バスは行ってしまいました。
あの時は、日本(東京かな,,?)の杓子定規的で人間味のなさに憤ってしまいました。きっと安全遵守という決まりがあるのでしょうが、もう少し融通が利いても良いのに、、、。

ジョグジャ行きのバスは、そんな感じで度々停まりながらスマランの中心部に到着。ここはちゃんとしたバス停の様で,車掌さんは外に出て行き先を告げ、乗客を呼んでいますが,バスはまだガラガラ。バスはエンジンを切り休憩モード。
エンジンが止まると次から次へと物売りが乗り込んできました。

厚揚げ豆腐唐辛子付きとピーナッツ売り。

もちろん道中喉も乾きますよね。
その他新聞、スナック菓子等々。
みんな生き生きとした素晴らしい笑顔なのが印象的。
数人の弾き語りの男の子たちも外で待機していましたが,乗客の少ないバスには乗ってこないようです。
そうこうしている間に15分、20分と時間が経っても、バスは出発するどころか,運転手さんは寝てしまっています。
他の乗客に「どうしたのかな?」と聞くと、「乗客が十分に集まらないからもう少し集まるまで待ってるんだよ」とのこと。
「インドネシアはジャム(時間)・カレッ(ゴム)だからね」、、だそうです。
『収縮自在の時間』
そうか、そんな時間も有りかな〜と、その気になってしまう。。。
まっ、いっか。。。。
その後しばらくしたらやっとバスが出発し、スマランのバスターミナルを出てから4時間でジョグジャに着きました。
ジョグジャは“インドネシアの京都”的な古都で,王宮跡などがあり、伝統文化も受け継がれていて,街自体に品があるような気がします。
ヒンドゥー教のプランバナン寺院遺跡や仏教のボロブドゥール遺跡などの世界遺産への拠点であり、手書きのバティックの布でも有名です。
ジョグジャのメインストリート。
“マリオボロ通り“

この道は一方通行の車道と、

馬車やベチャのための両側通行道に分かれています。
ベチャは、インドのリクシャーと同じ三輪自転車ですが、
インドは座席が後ろ,
インドネシアでは座席が前で,
乗客になってみるとちょっとスリルがあります。
この道以外は車道を車に混ざって走り,右折なども車と同じ様に対向車を避けながら曲がるので結構ヒヤリとすることも。。。。
(ちなみにベチャはバリには無く、ジャワの小規模都市にあるようです。)

マリオボロ通りには大小の小売店、デパートやホテル等が建ち並んでいて、その歩道には衣料品や雑貨等の出店がびっしりと並んでいます。全てを数えると1,000軒ものお店があるそうです。
この道の店は全て夜9時に閉まり,その閉まった後は歩道レストラン街に大変身します。
その変わり身の早さ!

20:30pm

21:10pm(同じ場所です)
沢山のお店がある中、ここの
“アヤム(鳥)・ゴレン(揚げ)”(訳して、フライドチキン)
がイチオシ!(㊙ムティアラホテルの向かい側歩道)
2時間もハーブを使ったスープで煮込んでから素揚げにするそうです。

歩道に敷いたゴザに座り,道行く人を見上げながら手で頂きます。
ジョグジャの夜はこれからのようです。
翌日はバティク作業場を覗いてバティック製作の工程を取材してきました。
*これも後日改めてご紹介しますので,お楽しみに!
ジョグジャはジャカルタとバリのほぼ中間地点、ここまでは船とバスの移動時間だけで約36時間。
ここからバリへは飛行機で約45分。
あっという間の帰路でした。
さて、あなたならどちらの旅を選びますか?
     おわり

ジャワ島紀行 〜中編〜(ジェパラ)

     
無事ジェパラに着きました、
小さな港があり漁船が漁に出る支度をしています。
アンティークのコレクションになりそうな可愛いボート。


ジェパラはとても穏やかな小さい街で、
チークウッドなどの家具や竹細工、
そして柄入りの手織りの布、ご存知 “イカット” を織っている小さな村があります。
イカットと言ってもいろいろあって、本来はその島々、村々独特の柄や織り方があり、ほとんどが自分たちで使う為に織った物なので、唯一の織物ですが、
ここジェパラでは、そう言った島々の特徴あるイカットの柄を使い、同じものを沢山生産しているのです。
沢山と言っても一柄、数十枚から200枚くらいで、もちろん1枚1枚手織りの布です。
この工程については、後日改めてご紹介したいと思います。
イカットを織っている村に向かう途中で見た、のどかなこんな光景。。。

チークウッドで出来た独特な家、
地面に直接立てられた家の中も土のまま。
チークウッドはとても堅く、シロアリに侵される事がないので大丈夫。
おじいさんはイカット用の糸を巻き、

おばあさんは竹の籠を編んでいます。

その前の家では機織り機を作っていました。

このゆったり時間の流れている道を進んで行きます。

この辺りは沢山のイカット作業場があり、それぞれ得意とするものを作っていて、糸の色染めから織りまで一カ所で完結します。

その一軒を覗いてみましょう。

この建物の中に、5台ほどの機織り機があり、
男の人たちが織っていました。
かなりの力仕事なのです!
この暑い中、本当にご苦労様です。
頭が下がりっぱなしでした。。。
     つづく、、、

とうとう雨期に入ったようです。

   
先月末頃から猛暑の日々が続いていましたが、
昨日、一昨日の晩は土砂降りの雨が降りました。
かなり乾燥していたのでこの雨はとてもありがたく、
植物の緑が生き生きしてきたように見えます。
ここの雨期は大体、夜に降って朝から夕方までは良い天気というパターンが多いので、さわやかな朝を迎えられ気持ちが良いです。
雨が降った後は空気も涼しくなり、とても過ごし易くなります、
、、が、、、
私のベッドの上まで降らなくても良いのにぃ、、、、
念のために、吊ってある蚊帳の上にビニールを被せてあったので、雨漏りの被害で寝不足になることはなかったのですが、何とも悲しい光景。
ポタッ、ポタッと大量ではないものの、滴が落ちる音。。。
早く直さねば、、、
その上、、、、
検品やパッキングをしている倉庫に行ったら、水浸し!!
屋根続きの隣の建物が増築作業中で、
“雨は降らないと思ったから、週末は瓦を外したままにしてしまった”
“ごめん、ごめん”
、、、、、、
、、、、、
、、、ありえない、、、、、!
ほんの少しの部分、瓦が外してあっただけなのにすごい被害です。
でもここでは“怒った方が負け“
幸いにも、本日一日良い天気だったので、外に濡れたた布などを洗濯屋かと思う程広げ、中は大掃除。
隅々まで掃除する良い機会だったということにして、これからはこのような被害に遭わないように、対策を立てないと。。。
やっぱり今年も雨漏りから雨期を実感している、週明けの月曜日です。

ジャワ島紀行  〜前編〜 (ジャカルタ)

ジャワ島に行ってきました。
バリから飛行機で約1時間半
ジャワ西部のインドネシア首都ジャカルタへ、
そこから船でジェパラと言うジャワ中北部の小さな街に向かいました。
普通はジョグジャと言う中南部の街から陸路を使うのですが、
今回は船の旅です。
前に数回、1泊のジャカルタ滞在をしただけで
主に中心部の雑踏しか見ていなかったのですが、
今回の船の出発地は、
想像もしなかったような超高級住宅街の一角にある桟橋。
その住宅街には
裏庭に自分の桟橋が付いている家が並んでいて、
桟橋には船も停泊していました。

通りから見たら、
写真の家の3倍くらいはある
まさしくホワイトハウスのような、
思わずのけぞってしまうほどのお屋敷が
あったりします。
しかし、
埋め立て地で
地盤沈下が激しいのか、
温暖化による水位上昇なのか、
道が海水であふれている所があったり、
“売り地“も既に、
海水でいっぱい、というところもありました。
こんなに立派な建物をこんなところに建てて大丈夫なのかと人ごとながら、心配になってしまいましたが、
余計なお世話ですよね。。。
このインドネシアという国が、どれだけ豊かなのかを
思い出させてくれる光景でしたが、
ここから1kmも行くと、
今度はスラムのような長屋の集落があります。
悲しいことに、
この国の豊かな資源や富の分配は
偏り過ぎているようです。
本来、もう少し平等に富が分配されていれば、
この国に貧困と言うものはなくなるはずですが、
これはどこの発展途上国にも共通する課題のようですね。
そんな思いを馳せながら、ジャカルタの豪邸街を後にしました。
しばらくすると大小の海底油田が!

産油国であるインドネシアの油田の多さにビックリ!
スマトラ島からずっと旅してきた友だちは、
何十ではなく何百という油田を見たと言っていました。

ウォーター・ワールドという映画に出てきそうな、
この金属の城を自分の目で間近で見て、
なぜか感動してしまいました。
そして、
これらに頼って私たちの生活が成り立っている
と言うことに、複雑な思いです。
インドネシアは産油国なので、
ガソリン代がとても安く、
日本円でリッター約45円。
でも、産油国であるこの国も石油を輸入している
という現実があります、
そこにはきっと、政治的で商業的な理由があるのでしょう。。。
   
       −・−・−・−・−・−・−・−・

   
ニュースで海底油田を見るたびに、
“どうやってこんな深海にこんな建物を造れるのか?”
と疑問に思っていたのですが、
船の水深計は35〜43mの間で
行ったり来たりしているまま、あまり動きがない。
もう陸から40kmも離れていて、
見えるのは365度地平線だと言うのに、水深38m!
38mはとても深いけど、
陸からそれだけ離れていてこの深さは予想外。
更なる驚きは、
この水深がこのあと真東に進んで行った約24時間、
変わらなかったということ。。。。
その為か、天気の良さも手伝って
真っ暗な”ぬめー”っとした海の上を穏やかな
航海が続きました。
     つづく、、、

ドリアンの季節がやってきた!

そろそろ雨期に入ろうとしている今日この頃、
毎日うだるような暑さが続いています。
そんな暑さとともにみんなのお待ちかね、
ドリアン売りが毎年お馴染みの場所に出現しました。
(私もある時から大好きになりました)

近づくとあの何とも濃厚な甘い香りがしてきます。
(嫌いな人にはたまらなく不快な匂いだそうですが、、、)
バイクを止めようかそのまま通り過ぎるか、、?、
究極の選択。
毎回通るたびに迷ってしまう、、
やっぱりこの暑さにはビールの誘惑が勝ち、
そのまま通り過ぎてしまうことが多々。。。
何が究極の選択なのかと言うと、
ドリアンかビールかの選択。
ドリアンを食べてアルコールを飲むと死んでしまうという説があるのです。
これが根拠のある話なのかは別として、
ずいぶん前にちょっとくらいなら大丈夫かな、とドリアンを夕方食べて、その後夕食の時にビールを一杯(いっぱいではなく一杯です)飲んだらお腹が大変なことになってしまいました。
下痢をするとかではなく、
お腹がガスでどんどん膨れてくるのです!
たぶんお腹のかなで異常発酵したのでしょう、
そのガスが上からも下からも抜けていかないのです。
2〜3時間はどうしょうもない苦しさでした。
このまま膨れ続けたらどうしよう、と心配になった程です。
これがもっとビールを飲んでいたらと思うとゾッとします。
たぶん他のお酒でも同じようなことが起こるのではないかと思いますが、さすがに試す気にはなりません。
もしかすると昔誰かが両方を大量に飲食して本当にお腹が破裂してしまった、というのも大いに考えられる話だと思います。
ここの人はみんなものすごいドリアン好きで、普段遠慮がちなバリの人も、ドリアンだけは“食べる?”と聞くと“いるいる!”と二つ返事です。
あの濃厚でクリーミーな食べ物は好きな人には本当に
“天国の味“です、
が、嫌いな人には“地獄の匂い”のようですね。
ちなみに
“ドリアン”の意味ですが
“ドゥリ”がインドネシア語やマレーシア語で“トゲ“
“アン(ヤン)”は“もの”
正しくは“ドゥリア(又はヤ)ン”で、まさしく!
トゲのある奴!
くれぐれも食べ合わせには気を付けましょう!

自然ってすごいっ!

4年くらい前、アメッドと言う北東の村へ行った時に、採れたてのカシューナッツを殻付きのまま数キロ買って来ました。
そのまま生で殻を割って食べたらとても美味しかったのですが、殻から外すのが意外に大変だったので、そのまましばらく放っておくと、もう食べれない程渋くなってしまいました。
自然の物だし、と家の隣にある空き地に殻付きナッツを捨てたのです。
それが、芽を出し、葉を出し、
今ではこーんなカシューナッツの木に成長しました。
(じゃーん!)

高さ約3mちょっとはあります。
去年から実を付け出したのですが、それにしても早い!
水まきも何もしていないのに
(育てる意識なんてまったく無かったのだから)
すごい!
自然の生きる力って本当にすごすぎる!
と、一人で感激中ですが、
その、気になる実とは、

赤く、甘〜い独特な香りがします。
(何故か、”ドクター・ペッパー”を思い出しました)
熟したネクタリンのように柔らかい。
その実の下に勾玉のようなあのカシューナッツの形をした種がぶら下がるようにくっついているのです。
この殻の中にカシューナッツが入っているわけです。
種が外についているなんて面白いですね。
ということは、、、、と、実の部分を切ってみると

全部実!
(こんな形にはきっと、カシューナッツなりの思惑があるのでしょうね、
いつか聞いてみたいと思います)
一口食べてみたら、一瞬甘く、
ネクタリンとリンゴのミックスから酸味をとって甘さを足したような味。
表現するのがむずかしい、、、
その後すぐに口の中が全面しぶみでモワモワしてきました。
う〜ん、食べても良い物だったのか??
ちょっと心配になるくらい変な渋みです。
カシューナッツの方がやっぱり美味しいです。
アメッド、で思い出したことがあるのでついでに、、、
泊まっていたバンガローで、マッサージをしてくれたおばちゃんに
“もしお金がまとまって入ったら何を買う?”
と不躾な質問をしたとことがあります、
私はテレビかな?
携帯電話かな〜?
なんて何気なく思っていましたが、
彼女は迷うことなく“お米”と答えました。

アメッドは岩山からすぐに海という地形で、
バリの他の地域が雨期で大雨でも、ほとんどかんかん照りのことが多い上、大雨が降っても、そのまま海に流されてしまうような丘陵です。
なので田んぼはありません。
ひからびた土地にトウモロコシが植えてあります。
カシューナッツも育ちます。
ほとんどの男性は、ジュクンと言うアウトリガーと帆の付いたボートで漁をして一家の家計を支えています。
素晴らしい塩田があり、
とても美味しい深層海流の塩が昔ながらの製法で作られています。
彼女曰く、
毎日の主食は米とトウモロコシの粉を混ぜたもの、
お金がなくなると、トウモロコシだけ、
お金があればたまーに白米だけが食べられるそうです。
毎日白米を食べられることが夢ということです。
こんなに身近で主食に対する危惧の言葉を聞いたのは、
ショックでした。
これは、こんなに豊かであるような南の島の一部で今現在ある事実です。
ちなみにカシューナッツを買ったのは丘陵の上の方なんですが、そこにも人が住んでいて、毎日、飲料水を麓の井戸まで汲みに行くそうです。

蛇口をひねれば水が豊富に出て来て、毎日のご飯の心配もしないで生活出来ることが、当たり前ではないのだと考えさせられたことを、カシューナッツの木を見るたびに思い出します。