移動修理屋さん

      
  

一瞬、鉄くず屋さんかと思いきや、
傘と靴の修理屋さん!
 
すごいサビサビの傘の骨・・・というか、芯だけ・・・
まだまだ使えるそうです。
この日は傘の修理中
  

ここまで使ってくれたら傘も本望でしょうね。
日本では雨が降ったら安い傘を買って、やんだら捨ててくると言う人が少なからずいると言う話を聞いたばかりでした。
物質的に豊かになり過ぎて、
大事なものを見失っているのでは??
”もったいない精神”
忘れたくないです。

ビジュアル系ドリンク

   
   
 
違う国に行くと普段なじみのある飲み物が、
あれっ??
ということありますよね。

あるワルンのこの並べ方がなんかとてもきれいで
カシャッと1枚。
まー、この中で私が普段飲むのは一番左の
“ビンタン・ビール” くらいですが、
今だに飲んだことの無い
ブルーの“ファンタ”
とてもきれいな色!
初めて見たような気がします。
ビジュアルで勝負!なのでしょう〜
一番右は、甘いアイスティーで
インドネシアではかなり一般的に飲まれています。

ザ・行商人

   
  
ナイフ売りのおばちゃん

商品はたったこれだけ・・・

気持ちよく写真を撮らせてくれたので、
小さいナイフを一つ購入。
笑顔も一段と大きくなりました。
金魚売り

反対側には、カメ売りも

なんだかちょっと息苦しそう・・・
お掃除雑貨屋さん

”写真撮ったんだから、一つくらい買ってよ!”
・・・の指。
後ろ姿になってしまいましたが、
足拭きマット売り
  

かなり重そう。
自転車のタイヤが心配になります・・・
みんないろいろ考えて、頑張ってます。

建設ラッシュ

     
   
  
帰りのバンコクトランジットも空港近くは平常通りでなんの問題もなくバリに戻ることが出来ました。
日本はこんな時期に雪が降ったそうですが、バリはニュピ明けに乾期に向かって青空が続いていたと思ったら、毎日のように雨が降っていたそうです。ここ数日はどんより曇り空、夕方には雷の音と真っ黒い雲が向かって来ては、何処かへ消えてしまう・・・、そんな雨期に逆戻りしたようです。
毎回ちょっとバリを離れて戻ってくると、ほんの数週間でも街の様子が変わっています、それは次々に建てられていくお店やレストラン、ヴィラやプライベートハウス。もちろん一瞬で建つ訳ではないですが、前からのプロジェクトが完成しオープンしたり、新しいプロジェクトが始まったりという終わりのない開発の断片が刻々と姿を変えていきます。
バリは今、空前の建設ラッシュ。
ここ数年続いている中でも一番多く、どこもかしこも建設現場。


大通りから小道に入って家へ続く800mくらいの間に約10カ所の建設現場。

いったい何時まで続くのやら・・・、道は重い石や砂を運ぶトラックに破壊され、ガタガタ道がどんどん酷くなっています。

田んぼがどんどん埋め立てられ、この牛さんたちこれから何処で暮らしていくのでしょうか?

きっとどこの発展途上国も同じような運命をたどっているのかもしれませんが、バリのんびりした姿からどんどん遠ざかっていくのはとても残念な気がします。
これらの現場で働く人ほとんどが、ジャワ島やバリ以外の島の人たちで、あらゆる産業や工芸品などを作っているのも今ではそう言った低賃金でよく働く他の島の人が多く、観光用の情報にはバリヒンドゥーが90%となっていますが、実は何年か前の新聞にはバリヒンドゥー以外の人口がバリヒンドゥーの人口を上回ってしまったと載っていました。
ジャワ島では、“バリ島の道は金で出来ている”と言われているそうで、バリでの職を求めてどんどんやって来ます。
そう言った人たちがバリの産業を支えている今、彼ら無くしてはもう立ち行かなくなっているのも現状です。
そして観光客が多い地区は、バリの風景が劇的に変わってきています。
これからのバリはどうなっていくのでしょうか?
いろいろと便利になり、日本食レストランもいくらでも選べる程の数になって、生活は遥かにし易くなったのですが、毎月のように増えていくレストランや宿泊施設などを見ているとなんだかとても複雑な思いです・・・

11年ぶりの桜

      
   
バンコクの後、久しぶりに一時帰国しています。
先週バンコクに居た時、デモなどの気配を感じませんでしたが、今週ニュースで見てビックリ、ちょうどわたしが買い物でうろついていたエリアが道路一面のデモ隊に覆われていました。1週間ずれていて良かった、、、ビザの更新も無事できたし。後は来週、帰りのトランジットで一泊するのですが、これは空港のすぐそばなので、問題なく帰れると思います。
来週はタイのお正月、ソンクラーンなのでそれまでに落ち着くと良いのですが・・・。(なんだかいろいろな所で、毎月お正月がありますね〜)
ところで、東京は桜の季節ですね。
そのわりには寒くてビックリしています。
今回の帰国では久しぶりに桜も見たいと思っていたので、ちょうど満開の桜を見ることが出来、感激しています。
よく考えてみると11年ぶりの満開の桜です。
(21世紀に入って初桜です!)

ボスのI氏に連れて行ってもらった穴場の桜並木。ここは一面が桜色で、こんな満開の時期なのに人も少なく静かで素晴らしかったです。なんだかとても贅沢な感じでした。感謝!

上野にも行ったのですが、人の方が多く、桜よりも人を見に行くような感じでした。
おまけに、このどうにかして欲しい“ブルーシート”

こんなに繊細な色の花見なのに強烈なこの色はないんじゃ〜ぁないのぉ〜?と思ってしまいます。完全にシートの方が勝ってます。
せめてもう少し優しい色を売り出しても良いような気がするのですが・・・
日本人は繊細なのかそうでないのか・・・?
たぶんそれが当たり前すぎて、目に入らなくなっているのかもしれませんね。
慣れ親しんだ物って目に入らなくなること、よくあります。いつもニュートラルで新鮮な目や感性をもっていたいものです。

B級グルメ、買い食い天国

  
   
インドネシアビザの更新のためバンコクに来ています。
毎年、ビザ更新はバンコクに来ていて、毎回ビザ申請事務所は結構混んでいるのに、今回はガラガラでした。バンコクの情勢のせいなのでしょうか?大通りの交通量もいつもより少ない気がします。
この辺りはデモなどの気配はまったく感じられません。
インドネシア大使館のあるパトゥナームは卸問屋街で毎日ローカルの商人で賑わっています。ほとんど全てのお店に、“小売価格”と“卸し価格”があり、その卸し価格対象の数量がたいがい “3枚以上”
例えば1枚150バーツのTシャツは、3枚買うと90バーツ/枚、なので2枚買うよりも3枚買った方が安くなるわけです。
こんなシステムとお祭り騒ぎのような賑わいの中で買い物モードにスイッチが入ってしまい、何でも買い過ぎ、それも試着も出来ずに買うので結局バリに戻って人にあげることになってしまいます。

今回はやっとその辺の自制が出来るようになったものの、食べ物に走ってしまいました。
バンコクは“アジアの大阪”(?)
屋台やローカルレストランが何処も美味しい。
(正直、屋台はインドネシアよりダンゼン美味しいと思います)
その数もものすごく多く、一歩外に出ると街全体が
“フード・ワンダーランド”


お腹いっぱいでも、つい立ち止まってしまいます。

タイに来たら、これは絶対食べるべし!
“カオニャオ・マムアン”(餅米・マンゴー)

ココナッツミルクで甘く炊いた餅米とウレウレマンゴーにココナッツミルクをかけていただく、年に4〜5ヶ月しか食べられない、うっとりする天国の味。
なぜこんなに食べ物売りが多いのかというと、外人用やちょっと高級なところを除き、バンコクの一般的なアパートメントにはキッチンが付いていないそうです。
実際、バンコクに5〜6年住んでいたわたしの友人のアパートメントも水場はバスルームだけのホテルのようなワンルームの部屋でした。
その友だちが10年くらい前に教えてくれた、
このあたりで一番美味しい
“イサン(東北地方)料理屋さん”

その頃は、このお父さんが汗だくになって一人で料理し、奥さんと数人の女の子が接客、テーブルも8台くらいだった小さな食堂が、今ではテーブル50台くらい、コックさんが8人くらいいる、大きなレストランになってしまいました。
誠実に美味しいものを安く提供してきたお父さんのサクセスストーリーです。ちなみに娘さんはキャセイパシフィックのスチュワーデス、息子さんは今大阪に留学中とのこと。お父さん頑張ったな〜、すごい!
大好きなここの“ナムトゥック・ムー”
(ローストポークの香菜温サラダ)

感動の味!です。
一度食べたら病み付きに・・・・
パトゥナームからバスかタクシーで5〜10分かけて、
毎回必ず行きます。
もう一つ必ず行く、シコシコ麺にあっさり味で美味しい、
“バーミー・ナーム”(チャーシューメン)屋さん。


この金髪のお兄さんが目印です。
(グランドダイヤモンドホテルの対面の道を入って30m程行った右)
ここも2年くらい前に歩道の屋台からちゃんとした冷房付きのお店になりました。
仕上げはスゥイーツ屋さんのカボチャのプディング
小さなカボチャを丸ごと使っています。

このお味がとても上品で、屋台の物とは思えない、
たぶん東京のデパ地下だったら500円はしそうな代物。
1切れ10バーツ(30円くらい)です〜
何処の国、どんな時代でも庶民を喜ばせる“食”は不況知らずのようです。

創業1941年

    
久しぶりに寄った、サヌールの海近くにある
“イカン・ゴレン”(揚げ魚)屋さん。

ここのお食事メニューはたった一つ、
“イカン・ゴレン セット”のみ
お昼時に行くとたいていは空席待ちで、炎天下の中、列んで待つことになるのですが、先週末はニュピ明けだったと言うのもあり、すんなり席をゲット、ラッキー。
席に着くとまず飲み物を選び、そして
「何人前?」
と聞かれるのみ
選択の余地のないこのワルン、
大きなテーブルで、みんな相席です。
魚とキュウリのスープ、
揚げ魚とご飯、の3点セット。

このキュウリがとても良く煮込まれていて、
スープがかなりイカした味になっています。
このスープを食べると、
キュウリの格が、ググ〜〜んと上がります。
揚げ魚に付いてくる、サンバル(チリペースト)も絶品。
とても味があり、甘い、、、
、、、、と、油断してたくさん頬張ると、大変・・・
10秒後に口の中が炎の嵐状態になるほど激辛です。
大汗を拭き拭きしながら食べていると
スタッフのTシャツの後ろに、目が行き
“1941”とプリントされてあったので、聞くと
1941年からこの場所でこのワルンをやっているとのこと。
それって終戦前、、、
じゃあ、日本軍兵士も、
このイカン・ゴレンを食べたのかもしれない・・・
日本軍は終戦前の数年間インドネシアに侵攻し、バリ島も至る所に日本軍の駐留基地があったようです。
戦争中のことは、常に酷い話が多いですが、
わたしが遠い村や近所で会った3人のお爺ちゃんたちは皆、わたしが日本人だと分ると、ニコニコ懐かしそうに、嬉しそうに握手して来て、背筋をピーンと張り“軍歌”を日本語で歌ってくれました。
半世紀以上の時を超え、
今でもしっかりと覚えている日本語の歌。
「日本軍兵士は皆、厳しかったけど良くしてくれたんだ」
と言う人もいました。
侵攻地で悪行をする兵士ばかりではなかった事を物語る、生き証人たちのことを思い出すと同時に、戦争中とは言え、きっと日本兵もバリの人たちとの関わりの中で心が安らいだこともあったのではないか・・・
、、、こんなことを思いながら、
イカン・ゴレン屋を後にしました。
  
  

静寂の日、“ニュピ”

     
  
昨日16日はバリ、サカ歴の新年の日
“ニュピ”
この日は次の朝まで丸1日
* 火や電灯を使ってはいけない
* 外出してはいけない
* 大きな音を立ててはいけない
など、バリ島に居る人全員が守らなくてはなりません。
(インドネシア全域ではなく、バリ島だけです)
飛行機の離発着もこの日は全てナシ!
空港はもちろんクローズです。
外出が出来ないのだから、全ての機関が完全にストップするという日本では考えられないような日が、今だに守られているのです。
とは言え、観光客が泊まるホテルは最小限の明かりの使用が許可されているので、ホテル内はほぼ通常通り快適に過ごせます。
ただ外出は許されません。
観光客がニュピの為に減ってしまうこの数日、バリ在住者を対象に普段では高いホテルの格安ニュピ宿泊スペシャルパケージがあり、私もずいぶん前に一度利用したことがありますが、ここ最近は、ニュピの静寂を家で過ごすことの素晴らしさに気付き、特別なこの日を家で楽しんでいます。
朝から、“シ〜〜〜ン”とした静けさの中、
聞こえるのは
鳥たちのさえずり
優しい風にそよぐ木の葉のサラサラした音
微かに聞こえる波の音
たったそれだけ。
たまに、見えない程遥か上空をジェット機が通る音が
唯一の人工音。
普段どれだけの雑音の中で生活しているか気付かされます
夜になると、満天の星。
車やバイクの排気ガスが無く
村の各家庭のゴミ焼却もなく
街の光も無く
新月なので月も無い
真っ暗な澄んだ空に見える星はプラネタリウム並みです。
星の明かりで辺りが見る程でした。
そして夜が明け、、、
今朝は早くからニュピが終わったことを知らされるように、
バイクが通る音や飛行機の離発着の轟音で目覚め、
しだいに人々が道を行き交う声や、
近くの建設現場からは機械音が、、、
急に現実世界に戻された感じです。
外出解禁を待ちきれなかったように大勢の人たちが
早朝からビーチで沐浴。

 
また日常の日が始まりました・・・
ニュピが過ぎると季節は乾期に替わります。
PS:この時期、ニュピ一連の行事が重なり、観光はあまり期待出来ないですが、バリのお祭りをまとめて見ることが出来るので、そう言ったことに興味のある方やお祭り好きの方にはかなりお勧めです。お泊まりは村の集落の近くのかなりこじんまりした宿が良いでしょう。ニュピの日は毎年違うのでチェックが必要です。

オゴ・オゴ リポート

    
今夜は “オゴ・オゴ” ナイト!
日本のねぶた祭のような感じです。
日が暮れた頃からオゴ・オゴの行進が始まります。
行列の先頭に、松明を持った女性たち

続いてオゴ・オゴ


その後ろにガムランチーム

・・・という構成になってます。
通りの十字路では、四方から来るオゴ・オゴを見る為に
大勢の人が集まり、至る主要の十字路はこんな状態。

車などの規制もあり、
通行出来る道はこんなことになっていました。
(ちなみに、、全然進んでいません、、、というか、停まってます)

それでも、車とバイクと人の多さと無秩序のため
オゴ・オゴがスムーズに進まず、みんな待ちくたびれ・・・

とにかく沢山のオゴ・オゴたち




子供たちも頑張っています

すごくキュートなオゴ・オゴ

竹の長い棒は、電線を持ち上げるため

みんなカメラを向けるとノリノリ!

  

   
そしてオゴ・オゴは一夜限りで燃やされます。

  
これで、1年で地上に溜まった邪気が、
地上から追い払われていきます。
明日は新年の日 “ニュピ”
邪気が戻って来れないように、音を立てず、火を使わず、電灯も使わず
人も外に出ないで、静かーーに1日を過ごします。
ここには誰も居ませんよー
と、島全土のかくれんぼ状態ですね。。。
まー、そんな堅いこと言わないで・・

・・と、膨大な時間とエネルギー、
そして制作費に10万円くらいを費やした彼らは
一週間後に燃やす、、、とのこと・・・
(いいのかしら〜?? と気になる私がいます)
とりあえず今夜は歩道で、オゴ・オゴと打ち上げパーティ!
(ニュピは明日朝から)
気持ちも分らないでも無いけど・・・。
バイクでオゴ・オゴを何時間も追っかけグッタリ疲れましたが、
いや〜、楽しかった!
かなりテンション上がりました。
何度見ても、オゴ・オゴ 最高!

ダブル・セレモニーの日

       
   
昨日は、二つのセレモニーが重なり
大変あわただしい一日でした。
その一つは、鉄や金属で出来ている道具たち、、、
伝統儀式に使われるクリスという剣、
カマやノコギリなど日常に使う道具など、
そして最近儀式のメインとなっているバイクや車、、
などに感謝をこめてお供え物を捧げ、
お祈りをするセレモニー。
朝一番でお飾りを付け、おめかしされた車

バイクも車も人と同じく、
儀式の時には正装のサロンを着ます。

ここで、車たちに「ありがとう」の
スンバヤン(お祈り)・・・
もう一つは、バリの新年を迎える前に
村のご神体を海や川でお清めする
“ムラスティ”
このムラスティは、私が一番好きなセレモニーで
毎年、数日前からワクワクします。
この日の通りは、白い正装の人々が御神輿とガムランの音色とともに行進するマラスティの行列一色に・・・

この光景とガムランの響きに、胸がいっぱいになり
何か熱い物がこみ上げてきます。
行進が優先なので、車は行列が過ぎるまで避けて待たなくてはなりません。

今では台車付きの、ご神体を運ぶ御神輿

プティテンゲット寺院前のビーチは,このムラスティの行列がどんどん集まり、辺り一面、御神輿と人・ひと・ヒト・・・

まずビーチに着いたら水辺まで行き、ご神体のお清め。

更に強くなるガムランの強烈な響き・・・

クリス(剣)を持ち、
一瞬でトランス状態に入っていく人たち



(特別な人たちだけのようです)
聖水をかけてもらうと、一瞬でまた戻ってきます。

そして、水辺を他の行列に譲り、
砂浜でスンバヤンの準備。

私は、いつもこのスンバヤンだけ参加させてもらうのですが、みな快く中に入れてくれ、マンクー(お坊さん)も聖水をかけに来てくれます。

しかし炎天下のビーチは、酷暑!
スンバヤンが終わり次第、そうそうに引き上げてきました。
帰りビーチを歩いていると、数人の人たちが静かなところでスンバヤンをしようとしていました。

わー、絵になるなー・・・
なんて思っていると、
お供え物をビーチに置いた瞬間、出稼ぎ工夫と思われる男の人が横からお供え物にのせてあるお金を取ろうと!
すかさずスンバヤンのおばちゃん、
「まだ終わってないんだからダメ!」
「終わってからにしなさい」
と、窘めていました。

我先にと、けっこう必死・・・
お供え物にはお金やお菓子が載っていて,
それを目当ての男の人たちを今回多く見ました。
抜け目が無いなー。
特に、水のボトルを集めている人がいて(ボトルはお金になる)、これは有り難いことだなーと思いました。
それでなくても、そこら中にこーんなゴミと化したお供え物が
そのまま置き去りにされていくのですから・・・

いくら自然の物とはいえ、こんなにあると
どーなのかな〜??
と、考えてしまいます。
これから数日、サーファーたちはバナナやココナッツの葉っぱをかきわけ沖に出て行くことになるのでしょう・・・
いや〜、凝縮した1日だった〜
夕方、今度はのんびりしにビーチへ行くと
パウアシェルのような彩雲を見つけ感動!

とても綺麗な彩雲が、私たちを祝福しているようでした。
素晴らしい日に感謝!