村のお寺のお祭り

   
正しくは“バンジャール“
日本でいう、町内会のお寺のお祭りです。
村の中にバンジャールと言う、
冠婚葬祭の互助をし合う町内会のようなものがいくつかあります。
各バンジャールに必ずある、“クルクル”

中が空洞の“木魚”のようなクルクルの合図でみなお寺に集合します。
正装した女性が絶妙のバランスで、
大きなお供え物を頭の上に乗せ、お寺に向かうのですが
この重さ15kgくらいありました。

バリの女性はとても姿勢が良く、
猫背の人は見かけません、
歩く姿がとても美しいです。
お供え物は、中にバナナの茎を立て
そこに竹串を刺し、一番下にはご飯、
竹串に果物、ケーキ、お菓子、鳥の丸焼き
等々を刺して積み上げていきます。

お寺の中は、沢山の色鮮やかなお供え物でいっぱい。

用意ができるまで、みんな好きなところでおしゃべりの花を咲かせ、ワイワイ、ガヤガヤしていますが、

“マンクー”と呼ばれるお坊さんの
“チリンチリン・・・”という鐘を鳴らす合図で
“スンバヤン”(お祈り)が始まると、
“シーーーン”と一瞬で静寂になります。
この静寂が、とても神聖で気持ちが良く
心が洗われるようです。
私の斜め前に座っていた、クリスモン君(10歳)。

この目で、私のスンバヤンの様子を見守ってくれ、
ちゃんと手順通りに終えると、
“うん、、、良し”と、ニッコリうなずいてくれました。
その時の彼の目は、子供のものではなく
神に仕える使者の様な威厳のあるものだったのが、印象深いです。
スンバヤンが終わり、
女性たちは神に捧げたお供え物を持ち帰り
家族で御馳走を楽しみます。

バリではほとんどの場合、きちっと敬意をはらってくれる人なら誰でも、スンバヤンに参加させてくれます。もちろん正装しなければなりませんが、これも快く貸してくれることが多いです。(今回、私も突然のことだったので、宿のスタッフのマデさんが貸してくれました)
みな温かい目で見守ってくれ、色々と教えてくれます。
  注:生理中の女性は参加出来ませんし、お寺の中にも入れません。
ビックリしたのが、このマデさんが私に貸してくれた“クバヤ”と言う正装のブラウスの値段。
とても細かく綺麗なカットワークがされたブラウス。
「こういうのって高いのよねー」と私が言うと。
「いくらだと思う?」とマデさん。
なんとブラウス1枚、彼女の1ヶ月のお給料と同じだそうです。
(もちろん彼女や友だちが着ていたブラウスも同様かそれ以上らしい)
「お金がなくて大変なのよ」と言い、けっして裕福という程の生活ではないのに、彼女たちの正装への思いはすごいなぁ〜、、、と思いましたが、そういえば、日本人の着物に対するものと同じですね。
そして、そんな高価なものを惜しげも無く貸してくれる度量の深さにあらためて感服しました。

ウチの家守(その2)、チチャ師

  
  
家の中の至る所に、何十匹いるか分からないくらいの小柄なヤモリ、
通称:チチャ

(彼らは主に壁や天井など至る所に張り付いている)
チチャ師は、体長約10cm前後と小柄。
柄が無くてほぼ肌色一色。
やはり夕方になると、そこら中に出現します。
たぶん昼間は涼しい屋根裏などで休んでいて,夕方、虫たちが電気の明かりに寄って来るので、それを狙って出てくるのだと思われます。
彼らの鳴き声は、
“チチチチチチッ”
ちょっと鳥の声に似ている感じです。
このチチャ師は、家の賢者。
例えば、ちょっと真剣な話し合いをしているときなど,
誰かが、その人なりの考えや意見を言い、ちょうど話し終わった瞬間に、
“チチチチチチッ”
というチチャ師の相槌は
「ふむふむ、その通りじゃ」
ということらしいです。
考え事をしている時も、同じそうです。
「それで良いのじゃ
・ ・・って感じですね。
昼間、姿が見えなくてもチチャ師は私たちの会話を聞いているのです。
頭の中で思うことや、口から出る言葉は常にきれいなものであるように気を付けていたいものです。

この暑さに、チチャ師も喉が渇いたようで
私の飲んだポカリスウェットの残りを飲みに来ていました。

イカットが出来るまで、、、

     
“イカット“とは、
インドネシア語で、 ”結ぶ“ という意味です。
糸を染める際、柄の部分を
“紐でギュッと結ぶ”
ここからきているそうです。
先月行ったジェパラで作っているイカットの工程をご紹介します。
初めは、まず糸に柄の下書きをします。
(この時、既に一括りにする量ずつまとめてある)

下書きにそって紐で結んでいくのですが、
柄の色別に紐の色を変えます。

こんなに細かい柄を作っているところもあります。

その糸を染めます。
紐で結ばれた部分には染料が入っていきません。

染めたものを乾かして、紐を解きまた他の色を被せていきます。
(この工程は色の数だけ行います)

染められた糸を一本一本柄の通りに、ピタッと合うように並べていきます。
(これまたとても細かい作業)

そうすると、ほら、
もう縦糸がちゃんと柄になっています!

あとは横糸をどんどん織り込んでいくだけ、

こちら、足踏みで織り機を上げ下げするのですが、
太めの糸に幅広の布でかなりの力仕事、
(毎日どれだけのステップを踏むのでしょうか?)
そして早さが勝負なので、男の人が織っています。
以上が、縦糸に柄を付けるタイプのイカットで、
ベッドカバーやテーブルクロス、スカーフなどになります。
逆に横糸に柄を付けるタイプは、洋服などを作る生地になります。
こちらはちょっとカラフル。
柄の部分を白く抜いて、下地を染めた後、
一カ所ずつ色を手で付けていきます。
まんべんなく全ての糸に色がつくように丁寧に何度もすり込みます。

女の子二人で楽しそうに作業をしていました。

このイカット織りは、1本1本横糸を柄に合わせながらの
丁寧で根気のいる仕事です。

こちらは女の人達が織っていました。
  

長い工程を経て出来上がる織物。
イカットを見る目が少し違ってきませんか??

使い捨てキャンドルホルダー

    
バリのロマンティックな夜の演出に大活躍の、
バナナの茎を使ったキャンドルホルダー。

自然な優しい明かりが、ムードをグーンと盛り上げてくれます。

このホルダー、日々使い捨て。
新鮮なバナナの茎を使うので、
時間が経つと乾燥して茶色いクシュクシュになってしまうのです。
なので、夕方前に新鮮なホルダーをホテルなどに届けられるように、
午後から作り出すそうです。
こちらでは毎日500個〜1,000個作っているとのこと。。。
用意するのはこれだけ。

丸めやすいのと繊維の模様が浮き出るように、
バナナの茎の外側のつるつるしているところを削ぎ落とし、

ペロリと一皮むき

裏返して、
丸めて竹の串でとめれば出来上がり。
(内側もつるつる)

バナナの茎、まだまだ沢山あります。

このバナナの茎は特別な、
実が堅い種だらけで食べられない種類を使用。
他の種類は茎がきれいではないので、使えないらしいです。
バリの人って、
本当に手先が器用なクリエーターです。

木彫りと棚田の村、テガララン

      
週末は木彫りの村に用事があったので、
避暑も兼ねて山の方に行ってきました。
ウブドからキンタマーニ高原(名前に反応した人、、、いますよね、、、やっぱり。)へ続く道、初めの10kmくらいは、木彫りや、モザイクなどのお店がずら〜〜〜っと並んでいて、

途中には、“テガララン”と言う、
棚田で有名な村があり、いつも観光客で賑わっています。

この辺りはカエル、ネコやブッダ像等々の木彫りを村中で作っています。
木はこちらの名前で“アルベシア”といい、
とても早く育つ柔らかい木を使っています。
(日本語名は残念ながらわかりません,ごめんなさい)

アルベシアの丸太と天日干し中のブッダ像。

上り坂を進んで行くと、雲行きがおかしくなり、
突然の豪雨。
すごい勢いの濁流で道路が見えなくなり、
ゴミと化したお供え物が流れてきます。

この雨も30分くらいですっかり止み、
道路もきれいになって自然の大掃除。
麓の方ではきっと大変なゴミの量で大洪水だったのではないかと思われますが。。。
このテガラランの近くに、日本人のリタイアされた男性がやっている小さな宿があり、アットホームさと気持ちのいいロケーション、そしておいしい食事に魅せられ、たまに寄らせてもらいます。
暑くなく、寒くなく、とても気持ちのいい気候です。
部屋の前に広がる渓谷、
夜になると、蛍がちらほら行き交います。

    ヴィラ・チュンパカ ->こちらから
   
村の散策をしたい場合、時間が合えばスタッフが快く案内してくれます。
美味しい天ぷらを揚げてくれるマデさん。

   
夕方の散歩道で出会ったおじさん、

「今日の夕飯はアヤム・ゴレン(フライドチキン)なの?」
と聞くと、ニッコリとうなずいていました。
村のお寺で、夜お祭りがあるというので参加させてもらった時に、
あれ、どこかで見た人だ、、、、

しばらくして思い出した、“アヤム・ゴレン”のおじさんは、
とても素敵に変身していました。

熱帯のお花屋さん

   
バリのお花屋さんに並んでいる花々は、
やっぱりトロピカル!

とてもダイナミックな花が多いです。
特にヘリコニアの種類が豊富。

バナナも花としてアレンジに加えられます。
と言ってもこれは、観賞用の花バナナ。

他に、蘭、バラ、菊、カラーなどもありますが、ヘリコニアのビビットな色と迫力に押しやられている感じです。
忘れてならないのが、チューベローズ!

これはバリを訪れた人が、バリの思い出の香りとして一番印象に残るものではないかと思います。
インドネシア語で、
“セダップ(美味しい)・マラム(夜)“
どこのホテルでも必ず生けてあり、その名の通り、夕方から素晴らしい香りを楽しませてくれます。
私の友だちや母が大好きなので、日本に帰る時に100本くらい持って帰ることがあり、大変喜ばれます。(100本で500円くらいなんです)
根っこの付いていない切り花は、検疫で虫がついていないかのチェックをしてもらい、問題が無ければハンコを押してもらう、それでOKです。
たまにはこんな“香りのお土産”は如何でしょうか?

あれれ〜、、雨雲はどこかへ行っちゃったみたいです

   
    
先週始め、2日続けて土砂降りの大雨が降り、風の向きも変わったので、雨期に入ったと思ていたら、それっきり。
またかんかん照りの青空の日々に舞い戻ってしまいました。

昨夜は雲一つない夜空に満天の星、
雨雲はどこへ行ってしまったのでしょうか、、、?
もちろん晴れの日も大歓迎ですが、とにかく暑いし
この熱い太陽の日差しが肌をジリジリ焼き、
ますます“美白”というものから遠ざかっていると思うと、喜んでばかりいられません。
もちろん、今さら“美白”を目指しているわけではないですけど、真っ黒にはなりたくないですね。
インドネシアの女の子たちは一生懸命“美白”を目指していろいろ頑張っているようです。バイクに乗る時はジャケットを着るのは当たり前。最近では軍手をして、ビーサンに靴下を履いている子もいました。
この“美白”願望は有色人種に共通したもののようです。
それとは反対に、ビーチで太陽の日差しをめいっぱい受けながら、本を読んだりしているのは白人たち。
彼らは、程よく小麦色になった肌に憧れていて、せっせとビーチに通っています。白人は良い色に焼けても、一週間で、元の白い肌に戻ってしまうそうです。
よく友だちが、「見てよ、こんなに真っ白になっちゃった、気持ち悪いでしょ〜、また焼かないと・・・」と言っています。
人間て、なんでこうも無い物ねだりなんでしょうね。

ウチの家守、ゲッコウ君

   
ここ最近、毎晩大きな鳴き声を聞かせてくれるウチのヤモリ、
通称:ゲッコウ(やっと全身撮影に成功!)

(本当の名前は:トッケイ)
この体長約25cmのゲッコウ君、
ここ最近、夕方から夜更けまで約30分に一回くらい
“コココ、、ココッ”と発声練習から始まり、その名の通り
ッッコウ”
と、すごく元気な声で4〜5回、叫びます。
(本当に“ゲッコウ“と聞こえるんですよ)
家中どこに居ても聞こえるくらい響き渡るのですが、
慣れてくると全然気にならなくなってきます。
きっと今、恋人募集中なのでしょう、
良い相手が見つかればもう少し静かな夜になるかもしれません。
普段は、声はすれども姿を見せてくれず、
たまに見えても上半身だけのぞかせていて、
ちょっと近寄るとすぐに後退して隠れてしまいます。
いつものポジション。

いちばん最初に見た時は、
さすがにビックリして、怖いものがあったのですが
家守というだけあって、家を守ってくれている(と信じている)ので、ありがたく同居してもらっています。
実際、蚊や虫などを食べてくれるので、
ウチには蚊などが少ないように思います。
その排泄の方は、もう少し場所を選んで欲しいよなぁ〜、
と思いますが。。。 

ジャワ島紀行 〜後編〜(ジョグジャ)

             
      
ジェパラからスマランと言う大きな港町を経由し、
バスでジョグジャまで向かいました。
スマランの外れにあるバスターミナル。

大きいターミナルで,快適そうな冷房付きのバスが沢山止まっています。

そのバスの発着場所の前にはキオスクが、
ずら〜っと並んでいて,
お土産用の名産菓子やスナックなどを売っています。
インドネシアは今、国内旅行ブームのようです。
定刻通りにバスが出発しましたが、幹線道路でも人が手を挙げるとバスはどこでも停まって乗せてくれます,逆にルート上であれば降りたいところで降ろしてくれます。このシステムは良いな〜と思いました。日本では時刻表や安全性が先立って,乗る人の利便性という、本来のサービスからは遠ざかってしまっているような気がします。
ちょっと余談ですが、数年前に東京で、バスが出発しそうなので20mくらい前から手を振ったのに発車してしまいました。でも、発車したもののすぐにある信号が赤になり止まったので,ドアをノックしましたが“ダメダメ”と手を横に振られ、しばらくして信号が青にかわり、バスは行ってしまいました。
あの時は、日本(東京かな,,?)の杓子定規的で人間味のなさに憤ってしまいました。きっと安全遵守という決まりがあるのでしょうが、もう少し融通が利いても良いのに、、、。

ジョグジャ行きのバスは、そんな感じで度々停まりながらスマランの中心部に到着。ここはちゃんとしたバス停の様で,車掌さんは外に出て行き先を告げ、乗客を呼んでいますが,バスはまだガラガラ。バスはエンジンを切り休憩モード。
エンジンが止まると次から次へと物売りが乗り込んできました。

厚揚げ豆腐唐辛子付きとピーナッツ売り。

もちろん道中喉も乾きますよね。
その他新聞、スナック菓子等々。
みんな生き生きとした素晴らしい笑顔なのが印象的。
数人の弾き語りの男の子たちも外で待機していましたが,乗客の少ないバスには乗ってこないようです。
そうこうしている間に15分、20分と時間が経っても、バスは出発するどころか,運転手さんは寝てしまっています。
他の乗客に「どうしたのかな?」と聞くと、「乗客が十分に集まらないからもう少し集まるまで待ってるんだよ」とのこと。
「インドネシアはジャム(時間)・カレッ(ゴム)だからね」、、だそうです。
『収縮自在の時間』
そうか、そんな時間も有りかな〜と、その気になってしまう。。。
まっ、いっか。。。。
その後しばらくしたらやっとバスが出発し、スマランのバスターミナルを出てから4時間でジョグジャに着きました。
ジョグジャは“インドネシアの京都”的な古都で,王宮跡などがあり、伝統文化も受け継がれていて,街自体に品があるような気がします。
ヒンドゥー教のプランバナン寺院遺跡や仏教のボロブドゥール遺跡などの世界遺産への拠点であり、手書きのバティックの布でも有名です。
ジョグジャのメインストリート。
“マリオボロ通り“

この道は一方通行の車道と、

馬車やベチャのための両側通行道に分かれています。
ベチャは、インドのリクシャーと同じ三輪自転車ですが、
インドは座席が後ろ,
インドネシアでは座席が前で,
乗客になってみるとちょっとスリルがあります。
この道以外は車道を車に混ざって走り,右折なども車と同じ様に対向車を避けながら曲がるので結構ヒヤリとすることも。。。。
(ちなみにベチャはバリには無く、ジャワの小規模都市にあるようです。)

マリオボロ通りには大小の小売店、デパートやホテル等が建ち並んでいて、その歩道には衣料品や雑貨等の出店がびっしりと並んでいます。全てを数えると1,000軒ものお店があるそうです。
この道の店は全て夜9時に閉まり,その閉まった後は歩道レストラン街に大変身します。
その変わり身の早さ!

20:30pm

21:10pm(同じ場所です)
沢山のお店がある中、ここの
“アヤム(鳥)・ゴレン(揚げ)”(訳して、フライドチキン)
がイチオシ!(㊙ムティアラホテルの向かい側歩道)
2時間もハーブを使ったスープで煮込んでから素揚げにするそうです。

歩道に敷いたゴザに座り,道行く人を見上げながら手で頂きます。
ジョグジャの夜はこれからのようです。
翌日はバティク作業場を覗いてバティック製作の工程を取材してきました。
*これも後日改めてご紹介しますので,お楽しみに!
ジョグジャはジャカルタとバリのほぼ中間地点、ここまでは船とバスの移動時間だけで約36時間。
ここからバリへは飛行機で約45分。
あっという間の帰路でした。
さて、あなたならどちらの旅を選びますか?
     おわり

ジャワ島紀行 〜中編〜(ジェパラ)

     
無事ジェパラに着きました、
小さな港があり漁船が漁に出る支度をしています。
アンティークのコレクションになりそうな可愛いボート。


ジェパラはとても穏やかな小さい街で、
チークウッドなどの家具や竹細工、
そして柄入りの手織りの布、ご存知 “イカット” を織っている小さな村があります。
イカットと言ってもいろいろあって、本来はその島々、村々独特の柄や織り方があり、ほとんどが自分たちで使う為に織った物なので、唯一の織物ですが、
ここジェパラでは、そう言った島々の特徴あるイカットの柄を使い、同じものを沢山生産しているのです。
沢山と言っても一柄、数十枚から200枚くらいで、もちろん1枚1枚手織りの布です。
この工程については、後日改めてご紹介したいと思います。
イカットを織っている村に向かう途中で見た、のどかなこんな光景。。。

チークウッドで出来た独特な家、
地面に直接立てられた家の中も土のまま。
チークウッドはとても堅く、シロアリに侵される事がないので大丈夫。
おじいさんはイカット用の糸を巻き、

おばあさんは竹の籠を編んでいます。

その前の家では機織り機を作っていました。

このゆったり時間の流れている道を進んで行きます。

この辺りは沢山のイカット作業場があり、それぞれ得意とするものを作っていて、糸の色染めから織りまで一カ所で完結します。

その一軒を覗いてみましょう。

この建物の中に、5台ほどの機織り機があり、
男の人たちが織っていました。
かなりの力仕事なのです!
この暑い中、本当にご苦労様です。
頭が下がりっぱなしでした。。。
     つづく、、、